令和3年10月15日 院長 長谷川 純一
米子医療センターは今年2021年4月15日で創立75周年を迎えました。当院のルーツをたどりますと、日中戦争が始まった1937(昭和12)年、姫路陸軍病院皆生温泉保養所の創設が源流のようです。この時は傷痍軍人が旅館に分宿したと記載されており、翌1938年に姫路陸軍病院臨時皆生分院(100床)が開設されています。太平洋戦争末期には広島陸軍病院に編成替えされ、終戦直前に実質的には休業となっていたようです。1945年終戦を経て12月1日陸軍省、海軍省が廃止され、陸軍病院、海軍病院が厚生省に属する国立病院として再出発した際、まずは国立姫路病院皆生分院として発足しているようです。しかし、これは書類上のみの出来事で、病院そのものは閉鎖されたままだったようです。翌1946(昭和21)年4月15日にやっと50床の国立鳥取病院皆生分院として診療が再開され、現在の病院の原点、創立記念日とされています。それから丁度75年経過し、現在76年目の前半が終わろうとしています。
【病院感謝祭】
その後1949(昭和24)年に国立鳥取病院米子分院と名称変更、1950年7月1日にやっと120床の国立米子病院として独立しました。しかしながら、翌年からは国立療養所米子病院次いで、国立米子療養所と療養所の形態となっています。皆生の木造療養所から、病院移転並びに近代建築への新築計画が浮上した際、大変な努力の末、独立当初の形態である国立病院への転換が実現したようです。そして1971(昭和46)年7月1日に現在地に移転、16診療科300床の地域医療の核として発展しました。近年、病院祭りあるいは感謝祭として7月初めに地域の方々に病院施設を開放する行事を行っているのは、この1950年と1971年のどちらかあるいは後者が関係しており、さらに現病院での診療開始も7月22日と7月に縁がありますが、創立記念日とは別の行事のようです。
【対象疾患の移り変わり】
最初の陸軍病院皆生温泉保養所からの当初は傷痍軍人に対する温泉地での療養が主目的であり、その後も軍人やその家族の医療を担う立場でしょう。一方、厚生省移管後の国立病院は、広く戦後の復興を支える国民の健康を等しく守る立場です。この頃国民の死因で最も多かったのが、結核です。政策医療として肺結核に対し医療資源を集中した療養所時代の名残りで、呼吸器疾患に強い国立米子の意識を生んだものと思います。
肺結核を克服し、高度経済成長とともに増加してきたがん、心臓病などの先端医療への転換を模索した時代があります。当時、日本人に稀なRh(-)の血液型の患者さんの心臓手術に必要な血液を求めて、全国的なニュースになった事もあったようです。1971年に現在の車尾の地に移転した後、高度成長期の終盤には腎移植施設指定とともに、山陰がんセンター構想が掲げられました。これは2004年の国立病院機構の独立行政法人化後、2005年の地域がん診療拠点病院の指定につながっています。2009年の骨髄移植施設・採取施設の指定など実績を積み重ね、2014年には現在の病院に建て替え整備し、高みに挑んでまいりました。
現在、血液や骨などを含む各種がんの治療を強みとして、手術療法、薬物療法、放射線療法を組み合わせて治療できるのは鳥取県西部医療圏では大学病院と当院だけですし、免疫療法や血液の癌に対する造血幹細胞移植などの高度医療への挑戦はもとより、最近注目を浴びているゲノム医療にも積極的に協力しています。また、癌患者さんのみならず、加齢と共に複数の病気をお持ちの方が多く、それらを支える多くの診療科を擁し、協力して治療に当たらせていただいています。また、当院の特徴である緩和ケア内科で、がんに伴う身体的のみならず精神的苦痛にも対応できる体制をとっていますが、これからもこの様な機能を継続していきたいと思います。
【急性期を担う地域医療支援病院】
当院は国立病院機構の全国140病院の1つの中規模急性期病院であり、また、地域医療支援病院として、第一線の地域医療を担っておられるかかりつけ医からの紹介患者さんに対する医療提供を中心としている病院です。さらに、小児及び成人の救急輪番制など、公的病院として必要な機能を維持していくことも重要な役目と考えています。
いずれにしましても、現在の病診連携や公的病院としての役割を認識し、これからの当院のあり方として、長年培ってきたがん医療に対する高水準の医療提供とそれを支える裾野の診療科を維持していくことが最も重要であると考えています。これからも地域において必要な役割を果たして行きたいと思います。
【新型コロナウイルス対策】
新型コロナウイルス感染症の世界的流行は止まるところを知らず、変異型であるデルタ株の流行は鳥取県内にも多くの感染者を出しています。当院では入院患者さんへの波及防止のため、昨年から厳重な防御態勢を採っています。入院・外来患者さんには大変ご不便を強いる結果となり心苦しく思いますが、これらは安心して当院を受診いただくための措置であり、国内でも真っ先に職員のワクチン接種を終えたことも合わせて、患者さんのためでもある事をご理解いただければ幸いです。
また、当初、緊急性のない消化器内視鏡検査や外科手術延期などの学会提言を受け、一時的な診療抑制策を取りましたが、万全の対策の下、現在は診療体制を元に戻しています。しかし今度は患者さんの方で受診を控える動きがあるようなのが気がかりです。鳥取県は特にがんによる死亡が多く、県をあげてがん対策に力を入れていますが、不要不急の外出自粛の延長線上でがん検診受診の自粛につながってしまっているようです。がんの発生、進行は待ってくれるものではありません。コロナが一段落した頃に進行したがん患者さんが大挙受診されることを恐れます。かかりつけ医によるがん検診のみならず、精密検査を指導された場合、躊躇なく受診していただきたいと思います。
【100周年にむけて】
人口減少が続いていますが、人生100年時代と言われるように、これから超高齢社会を迎え、高齢者人口は2040年までは増え続けると予想されています。そのため高齢者の医療需要が大きく減ることは考え難いと思いますが、それを支える青壮年の人口はどんどん減少していきます。したがって、増加する医療費を負担する人口減を補う意味でも定年の延長や高齢者の医療費負担が避けて通れなくなります。高齢者の診療形態は現在のものとは大きく変化せざるを得ず、現在の診療科のみで全うできるのか、あるいは補強すべき診療科は何なのか、2週間ほどの急性期のみの診療形態が維持できるのかなど考慮すべき課題はたくさんあります。直近の方針としては、緩和ケア内科を含めたがん診療や、整形外科など高齢者に必要な診療科を中心に整備を続けたいと思いますが、同様に増えていくであろう認知症対策も含め、大学病院などと連携しつつ、鳥取県西部医療圏において必要とされる米子医療センターであり続けたいと思います。皆様からのご支援ご指導をよろしくお願い致します。